流れる日々を見つめる旅

毎日の流れていく日々を見つめ、少しずつでも精神レベルを高めて、良い人格の人間になっていきたいと思いました。

2016-3-31  心の中の記憶に日の光を当てて風を通す事

今日は、友人とカフェでお茶を飲んで色々話しました。

 

話しながら思ったのが、

 

「心の中の記憶は、一度外に出して日の光を当てて風を通してやる事が必要なのだ」

 

という事でした。

 

今、自分の中で課題だと思っているのが、「放っておくとネガティブ思考に傾きがちな自分の無意識の反応を、せめてポジティブとネガティブのバランスが50対50くらいのバランスになるようにする」という事です。

 

それで、その無意識の反応の陽と陰のバランスを取る為には、多分、自分の中で蓋をしている記憶の部分に、日の光を当てて風を通すような事が必要なように思っています。

 

どうも自分の中に、ずうっと蓋をして見ないようにしてきた記憶のつまった鍋のようなものがあって、その蓋の中身が外にこぼれないように必死で自分の無意識レベルの防衛規制が働いているような気がしています。

 

その、記憶の蓋が外れるようなイベントが起きないように、必死で記憶の鍋を守る防衛規制として、ネガティブで孤立しがちな反応が出てきているように感じています。

 

でも、形あるものも、ずうっと風を当てないで日の光も当てないでいると、あまり良くないですよね。

 

同じように、記憶というものも、ずうっと外に出さずに日の光に当てずに風を通さないでいると、あまり良くないのだと思います。

 

通常の記憶というものは、脳の中の海馬という部分に溜め込まれているそうです。

 

通常の記憶はそうなのですが、自分の中で思い出したくない記憶というのは、脳の中の海馬とは別の場所に保存されているそうで、そういう思い出したくない記憶を思い出しそうになると、感情的な反応を示したり、衝動的な行動を起こしたりするそうです。

  
そういう、思い出したくない記憶の鍋のような中に、記憶がたくさん入っていて、その中に日の光も風も通っていないのが、問題なのだと思っています。なので、その蓋をして見ないようにしている記憶というものを、外に出して日の光に当てて、海馬の中にしまい直すような事が出来ると良い結果になるのだと思います。

 

過去、私小説のような小説を書きまくっていた時期が一年間くらいあったのですが、今思うとその時期に、けっこうポジティブな方向に自分が変化した手応えを感じていたのですが、その頃にやっていた事って、上に書いたような事をしていたんですよね。

 

自分の中に封印していた記憶の蓋を開けて、それを材料に小説を書いて人に読んでもらうような事をしていたのですが、今思うと、その行為で心の中に日の光が入って風が通った結果、ポジティブな変化が起こったように思います。

 

その時期の後は、ちょっと作業所の仕事が始まった事もあって、小説や内面の底のような文章は書かないで来たのですが、未だに無意識の反応の課題があるという事は、まだ、ちゃんと日の光が当たっていない記憶が残っているのだと思います。

 

なので、陰と陽のバランスを取るためには、もう一度、記憶を外に書いたり話したりして出して、日の光と風を当てて、海馬にしまい直すような事が必要なのかなあと思いました。

 

なかなか、自分の記憶の蓋の中身を見るのは体力と気力が必要なのですが、それをやらないと、なかなか今後の成長はないのかなと思うので、ちょっとこれは宿題として持っておこうと思います。

 

自分の中に抱え込んできた記憶を外に出して日の光を当ててやること。

 

今日は意味の分からない事を書いてしまったかもしれませんが、書いて少し整理できました。読んでいただきありがとうございました。

 

では。

 

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