流れる日々を見つめる旅

毎日の流れていく日々を見つめ、少しずつでも精神レベルを高めて、良い人格の人間になっていきたいと思いました。

2016-4-13  今まで楽観的でいられたのは、良い環境に恵まれていたからかも知れない

今日は友人とカフェでお茶を飲んで長話をしたのですが、話しながら、割と自分は楽観的な面が強いのかなと思いました。

 

自分は脳の障害持ちですが、何とか30代後半まで生きてこれたし、波はあるにせよ、何とか今でも元気に生きているので、この先も何とかなるのではないかと楽観的な気持ちで過ごしていました。

 

僕の人生は他人から見れば転落を繰り返してかなり絶望的な人生に見えると思うのですが、その割には僕はこの先も何とかなるのではないか、と思っていて、何でこんなに僕は楽観的なんだろう?と今日話しながら思っていました。

 

そして思ったのが、もしかしたら僕の周りにいる人たちに優秀で良い人たちが多いから、僕は楽観的なのかもしれないという事でした。

 

僕の両親はもう二人とも定年を過ぎていますが、父は会社員、母は教師として定年まで大過なく勤め上げてきた人達で、転落人生の僕から見ればかなり優秀な人たちだなあと思います。僕は会社勤めを30歳くらいまでやってギブアップしてしまいましたが、定年まで勤め上げるという事を両親ともやり切ったという点だけでも、凄い人達だなと思います。二人とも思慮深いし、長年生きてきた知恵があるなと思います。

 

他の家族も性格が良く、良い精神状態を保って前向きに生活していて、みんな人格者だなあと思う事が多いです。

 

家族が皆、優秀で良い人で、今まで知り合った友人達や今の作業所でお世話になっている人達も良い人達なので、僕はその人達がいる事に安心していて、楽観的でいられるのかもしれないと思いました。

 

これは良い事なのだろうか?それとも過度に楽観的過ぎているので良くないのだろうか?

 

多分良い面と悪い面両方あるのかなと思います。良い人達に囲まれている事で精神的に良い状態を保てているのは良い面だと思います。

 

逆に、周りの人達が色々な面で僕を助けてくれている事に頼り過ぎていると、フォローが無くなったときに倒れてしまうので、周りの人に過度に頼らないようにする必要もあるのだと思います。


ここまで書いてきて、やはり恵まれた環境にいれたから楽観的でいられたのかも知れないと思います。恵まれた環境で、周りの方のフォローの力があったので安心して楽観的でいられたのかもしれないと思います。

 

今までは恵まれた環境だったから何とかなってきたけれど、この先もそれが続く保証はないのだから、楽観的になりすぎずに、自分の力もつけなければなと思います。

 

自分の精神レベルを高めてメンタルを良好に保って、今の人間関係の調和を目指しつつ、周囲の人に依存的にならずに一人でも立っていられるようになること。

 

そんな事を意識していく必要があるのかなとお茶を飲んだ後に思いました。

 

今までは何となく、自分なりに自分の力で生きてきたように思っていたのが、実は周りの優秀で良い人に助けられてきたから何とか生きてこれただけで、自分一人の力で生きてこれたのではなく、周囲の人の多大な力で生かされてきたのだなと思いました。

 

実は飛び抜けて運(=環境)が良かったおかげで今まで何とか生きてこれただけなのかも知れないと思いました。

 

何となく、自分はダメ人間だけど運だけは良いので何とかなるんじゃないか、と思ってきたのですが、本当にその言葉通り、運(=恵まれた環境)に助けられてきたのだなと思いました。

 

良い環境に助けられるだけでなく、ちゃんと自分の力をつけていかなければな、と思います。

 

人と話すと、普段一人では考えないような事を考えたりするので、たまにお茶を飲みながら長話をするのは良いですね。

 

では。

 

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